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真言宗智山派 不波山附属寺

附属寺について

​​縁起

当山は開山年代は不詳ですが、 当山中興の源宗和尚は文明18(1488)年に遷化されたと伝えられています。
古の昔、本寺から二丁北に不波と称する沼地があり、そこから弘法大師作とする地蔵菩薩の尊像が出現し、それを本尊として堂宇を建立し、地蔵院と称し、出現の地名をとり山号を不波山と号し、寺号を附属寺としました。
この尊像は古来秘仏として六角堂に安置される弘法大師尊像の腹籠もりとなったと伝えられています。

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附属寺大師堂

この大師堂は宝形造り、銅板葺の六角堂で、軒は二軒の扇垂木です2.28mの柱間を持つ六角形で、床高は50cmあります。周囲に90cmの回縁がついています。柱は上部粽つきの円柱で、粒石基礎の上に建てられ、これを長押で押さえ、頭貫と台輪で結ばれています。柱上は和様の出組斗栱を用いています。正面入り口は双折両開きの桟唐戸入口左右の各一間の所に火頭窓がついています。内部は一室空間で、床は拭い板敷き、天井は格天井で中央に弘法大師坐像を安置しています。
この六角堂は天保4年(1833)に三直村の宮大工平野善六によって改築されました。

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​弘法大師と紀州犬

 我が家には雄の紀州犬(8才)がおりますが,この犬はイノシシ除けに探し回ってやっと篤志の方からいただいた犬です。紀州犬は猟犬として使われることが多く,イノシシも紀州犬のにおいが嫌いなのだそうです。
 この「紀州犬」と弘法大師には深い関わりがあります。和歌山県ではイノシシと弘法大師空海が開いた密教の聖地,高野山。開山の経緯について今なお語り継がれる,空海を高野山へ導いた2匹の犬の伝説があります。この弘法大師を導いた2匹の犬が紀州犬の先祖と言われています。
 留学先の唐から帰国し,真言密教の根本道場にふさわしい地を求めていた空海は,白と黒の犬を連れた狩人と出会い,犬に導かれて高野山へ入りました。その狩人は,丹生都比売大神(にうつひめおおかみ)の御子である高野御子大神(狩場明神)の化身。丹生都比売大神の神領だった高野山を譲り受けた空海は,山上に大神を祀る社を立て守護神としてあがめました。丹生都比売大神が鎮座する丹生都比売神社をはじめ,高野山麓には伝説に関わるスポットが点在しています。空海の母ゆかりの慈尊院には実在した高野山参詣道の案内犬「ゴン」の像が立ち,丹生官省符神社では白黒2匹の大絵馬が,丹生狩場神社では白黒2匹の狛犬が社を守っています。2017年には丹生都比売神社の崇敬者から紀州犬の「すずひめ号」が神社の御神犬として奉献されました。また,伝説とは由緒が異なりますが,蟻通(ありとおし)神社の境内には疫病平癒の霊験あらたかな自然石の狛犬が鎮座しています。
 実際に附属寺では,紀州犬を飼ってからイノシシが姿を現さなくなっております。

四国遍路八十八カ所 写し霊場

​地蔵札 200円(90枚)

 現在、四国遍路八十八カ所は有名な巡礼場所となっており、気軽にいくことができることができます。中には旅行ツアーで巡礼することもできるようです。
 このように人々が旅を楽しむ原点の一つに、江戸時代に旅が盛んになったことがあげられます。旅が盛んになったいっても、人々の移動手段は基本的に徒歩でした。そのため、体調面や移動時間、宿泊費等の問題が大きく影響し、旅をしたくてもできない人もいました。
 そこで設立されたのが「写し霊場(うつしれいじょう)」です。「写し霊場」とは札所を巡礼することで、四国遍路八十八カ所などを巡礼したのと同じ御利益が得られるとされたものです。
 当寺の​裏山には88体のお地蔵様があります。これは、近隣の村から寄贈された物のようです。破損している物も見られますが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響で壊されたのではないかと伝えられています。
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